本荘幼稚園のキリスト教保育その2

園長 松橋 郁子

新入園児の子どもたちも最近は慣れてきたのか、礼拝のでは手を合わせて祈ることが自然とできるようになりました。どの子どもも少しずつ成長していることに嬉しく思います。本荘幼稚園では讃美歌も毎日歌います。讃美歌は神さまへの音楽での祈りです。このように礼拝しているなかで神さまや人から愛されている喜びと安心感が生まれることは前回も触れました。

情操教育という言葉を耳にすることが多いと思います。感情や情緒を育むもので、明確な定義づけは難しいとされます。じゃあ、情操教育って何?…等、考えなくても本荘幼稚園は情操が養われる活動でいっぱいです。広い庭で植物や虫、小動物と戯れたり、毎日の礼拝やお祈り。玄関に飾られている絵や花など、カラフルで形も美しい…。子どもたちはいろいろな環境から刺激をうけ、総合的に心も体も成長していると感じる毎日です。
学校教育の現場で、現代の課題となっていることの一つが「自己肯定感」「自尊感情」を高めるということです。私も教員時代に、たくさんの悩む子どもたちに出会いました。そういう子たちの口癖は、「どうせ、私なんて…」。そんなときに思ったのが、本荘幼稚園のキリスト教保育って、愛を与えていたということ。「三つ子の魂百まで」と言われますが、幼児期に本荘幼稚園で過ごすことの価値について、よく考えさせられたものです。

・自分が愛されている安心感→自分は大切な存在だと知る→他の人も大切な存在だと知る
・自分で決めて、自分で考えて遊ぶことができる 
・自分の可能性を切り開いてくれるチャンスが毎日の環境としてある
・上質で価値あるものを大切にし、それらを享受できる環境が常にある

・・・人生の中でうまくいかないことは多いです。その時、口にしてほしいのは「どうせ私なんて。」ではなく、「どうしたらもっと良い状況にすることができるだろう。」ということでです。そんな人になってほしいなと考えながら、毎日子どもたちと接しています。勿論、保育者も失敗をします。悩みます。時に落ち込むこともあります。しかし、常に聖書に立ち返り、神さまだったら何を望むかを考え、立ち返る努力をしていきたいと願います。 聖書は自己肯定感を高めることが大切だなどとは言っていません。自己を素直に受け入れることの大切さを教えています。「自分は完璧ではない、たくさん間違える、弱い人間である。そのような価値のない私であっても、神さまは愛してくださる。」そのように考えることが重要なのです。

わたしの目にはあなたは高価で尊い
わたしはあなたを愛している
【イザヤ書43章4節】