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自由にされて 園長 星野 健(2004年2月)
 『あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい』。(ガラテヤの信徒への手紙五章十三節)
 新しい学期の歩みも豊かな恵みを与えられておりますことを感謝いたします。3学期の歩み、特にすみれのお友だち一人一人が、幼稚園での最後の日々にたくさんの恵みを受けて、新しい出発への歩みを充実せられるよう願います。
 『愛によって互いに仕えなさい』との言葉は、聖書の教える生き方の核心を表しています。別の箇所では、『いつまでも残るものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。』と言われます。この愛が、互いに仕えることであると言われるのです。互いに相手にたいして自分を低くすることが愛と言われます。
 多くの場合愛の行為は自分を相手より高い位置においてなされることを思わされます。自分は充足していて相手は不足していると思っている。その相手の不足を補ってあげることが愛だと思うのではないでしょうか。相手が求めているものを満たしてあげるのだと。しかしそれはここで言われている愛ではないでしょう。ここで言われているのは、互いに自分が不足しており、欠けのある存在であり、自分で立つことができない存在として相手にそういう小さな自分自身を差し出していくことです。
 聖書には「愛」という言葉にいくつかの種類の言葉があります。エロースという言葉とアガペーという言葉があります。エロースは「価値発見的愛」であると言われ、アガペーは「価値創造的愛」であると言われます。あの人のこういう所が素敵だという発見をもって愛するのがエロースです。それはそれで素晴らしいと思います。しかし最初にあげました聖書の言葉に当てられているのはアガペーの愛です。価値創造的な愛。愛されることによって相手が価値あるものになるのです。価値があるから愛されるのではなく、愛されるから価値がある。それが神の愛であり、その愛を受けてもう自分で自分を価値あるものにしたり、そのように見せたりする必要のない自由な者として互いに仕えあうことが勧められているのです。
 キリスト教教育の源泉はこの無条件の愛です。子どもはいい子だから愛されるのではなく、愛されて豊かに成長します。そして先ずわたしたち自身がそのように愛されているものとして小さな自分を差し出し、子どもたちによって、また子どもたちと共に、豊かに成長させられることにしたいと願うものです。
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