クリスマスの光 園長 星野 健(2003年12月)
 『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである』。(ルカによる福音書二章十一節)
 クリスマス・シーズンが到来しました。わたしたちの日本の国では師走とも言われる季節と重なります。クリスマス商戦、年末商戦が続いていく季節でもあり、にぎやかさが増していきます。しかし同時にそれに反比例するかのように人間の孤独感や閉塞感も増していく季節でもあるようです。
 クリスマスという言葉は、キリストという言葉とミサという言葉に由来します。つまりクリスマスはキリスト礼拝という意味をもつことになります。2000年前の最初のクリスマスは人知れず誰も目にとめない馬小屋の中で行われた礼拝であったことが聖書に記されています。人間を超えた存在に対する畏れの姿勢なしに本当のクリスマスは迎えられないことを思わされます。喜怒哀楽といったわたしたちの感情に畏れの感情、「畏れ敬うこと」が加えられるときに人間性は成熟します。喜怒哀楽、人間の様々な感情が高まり入り乱れるこの季節にこそ「畏れ」の感情を回復し、その上に心を整えていくことができれば幸いです。
 「あなたがたのために救い主がお生まれになった」というクリスマスのメッセージを聞いたのは徹夜で羊の群れの番をしていた羊飼いたちでした。人々が眠っている間に寝ずの番をしていた羊飼いたちに天使が現れます。多くの目に見えるもののきらびやかさによって心の目が小さな光に鈍感になり、魂が眠ってしまうとき、わたしたちの知らないどこかで本当のクリスマスが起っているのかもしれません。ネオンの明るさのなかでは星の光をみつけることは難しくあります。この季節にこそ心の目を覚まし、心の耳を澄まして子どもたちと共にクリスマスを待ち望みたいと思います。
 実は聖書のなかにはクリスマスが12月25日だとは書かれていません。これは聖書ではなく古代ローマの冬至の祭りがキリスト教化されたことに由来しています。しかし一年で最も夜が長い日、闇が最も深まったところにクリスマスの光が与えられることは実に印象的です。本当のクリスマスの光は人の目にとまらない小さな光、そうでありながらどんな深い闇にも覆われてしまわない光、それどころか闇が深まれば深まるほどますます輝きをましていく光なのです。
 御家庭の一つ一つにクリスマスの光が暖かいともし火として灯されるようお祈りいたします。
↑上へ戻る